保守=京アニ、革新=シャフトというまとめ方

WebLab.ota - 京都アニメーションのアニメは見ない…と言うのコメント欄、

『新・アニメ・批評』2007/12/11 01:10
保守主義」を突き詰めれば京都アニメーション(一部除く)。
「革新主義」を突き詰めればシャフト(一部除く)。
概括的ではありますが、いずれもテレビアニメにおいて無視はできないのではないでしょうか。

納得がいった。まぁ私は(見れば分かるとおり)シャフト派な訳だけど。まぁ大体語られるのこの2つのスタジオだもんなー(んでもって、趨勢は京都アニメーションにある)。


(あまり関係ない話するけど、シャフトというか新房筋の人たちの評価があまりちゃんとなされてない気がするんだよなぁ。大沼さんは「動かしてないように見えるけど、静止画に印象付ける演出がそう見せてる」というけど、実際あまり動いてないんだよなぁ、こと『ef』に関しては。でも、これには違う側面もあって、『動けばそれで良い』というか、『動かなきゃ駄目』という先入観から出てくる意見なのだと思うけれど、動きというのは表現の一手段でしかなくて、静止画+コンピュータグラフィックス、例えばみやこの電話の表現とか、『作画の節約』とか云われてるけど、そこでその表現をせずに普通のアニメーションでやらない、その表現に価値を感じたからそうしたまでで、コンテマンがそれよりもよい表現手段があると有ると感じたならそうしているだろう。まぁ、確かに作画班の負担の軽減という側面がないとは云えないが、『その表現から感じ取ったこと』よりも『作画で表現しなかったこと』で語るのはいかがなものかと思うのである。でも、今の時代『絵がキャラ表どおりにグリグリ動く』という事の評価に偏重してる部分があるから、『シャフトは動かないから駄目』みたいに云われる訳で。作画班の範囲外の労力というのを考えてない気がする。先に述べたみやこのカットも、文字の出し方、重ね方、声優演技のコントロールとか結構気を配ってる気がするのだが……。それでも『絵がない』という一言で切り捨てられるのだ。)


あ、『ef』で云うなら、京アニが紘でシャフトが京介って所か。


# とゆか、原作から外れる事自体に批判されてるより、その外れ方に問題が有る場合が多いような。
# ぼくらのとかキミキスとか。
# うまくやれてれば、最悪でも原作派とアニメ派の対立という形になるから。


# あと……確かに『ef』だとかの演出は人を選ぶと思う。嫌いな人は嫌いだろうなぁ。それはそれで仕方がない。別に好きになられる必要もないのだから(売り上げを気にする『製作』側はそうも行かないだろうけど)

追記:
とは云うものの、アニメ的にぐりぐり動く事はそれ自体が楽しみである訳で、それが足りないと、確かに物足りなさを感じることはあろう。適材適所だけど。動かない演出が良いという訳ではなくて、それもこれも適材適所だろうということである。最終的に良いと感じられるものが、良いのである。
というか、まぁ、『ef』では阿部さんとかの活躍があまり見られないなぁ……と。